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tisdag, december 15, 2009

Darling webbsida är tillbaka!!
(eller kanske det är bara jag som inte har visst att det varit tillbaka men det hade försvunnit en gång.)

http://www.darling.se/nr61/

大好きな大好きなDARLINGのウェブが復活していたー! 

söndag, september 02, 2007

★ショートバス覚え書き

出ていた人たちが何をしている人なのか気になったので、
ゆうべもらってきたフライヤーを見てたら、
やけに協賛ショップとかグッズのこととか、
著名人のコメントみたいなのしか書いてなくて、
なんか煮え切らないなーと思い、 日本語版公式サイトを見てみた。
http://www.shortbus.jp
フライヤー以上のことはほとんどなく、がっくり。

で、英語の方の公式サイトを探した。
http://www.shortbusthemovie.com
同じ映画か、と思うほどに空気が違う。
こっちはすごくもりだくさんでよかった。
キャストひとりひとりの紹介に加えて、
作品や音源などの紹介、リンクなども丁寧にある。
つくりも凝ってるし、作品の雰囲気がでてる。

映画でも音楽でもまあなんでもそうなのだけども、
日本で紹介されるときには何であれなんであんなに
かわいらしくしないといけないのかまったくもって理解できない。
正しく言うと、かわいくないとなんでも売れない国なのはわかるけど、
受け入れたくないというか。

日本での紹介のしかたは、作品そのものがいい、というよりも、
「この作品を好きと言える私ってすてきでしょ」と
名前のあるひとに言わせてるだけな感じで、
うーんおもしろくないです。

結局のとこ、セックスについておおっぴらに語る、
ということ自体がもう衝撃だということ、
それでもってそれをドラーグクィーン的なキラキラと
かわいさで包み隠して讃えているような、
逆説的にそんな感じがする。本末転倒。

ほんとは英語サイトや監督インタビューとかでわかるような、
インディーで、ある意味普通の人たちが
自分たちの生活の中から作品をつくりあげていること、
それくらい普通の誰もが抱えていることであること、
でもそれをあえてタブーとして隠されているセックスでもって、
映画の中で捉えてみようとしたこと、
それが作品作りに関わった人たちの個人的な問題を
前に進めるプロセスでもあったこと。
そういうことすべてがこの作品のテーマというか
ポイントなのではないかしら、という感じがするのだけれども。

出ているひとたちは、みんなインディーなアーティスト、
パフォーマー、ミュージシャンなどのようです。
で、サイトそのものが、それぞれの活動の共有スペースになり、
かつサポートスペースとなっていることなんかが、
いわゆるニューヨークらしさなんじゃないのかなあ。
真剣なのに笑える感じもニューヨークらしい気がします。

そういうことが、日本語サイトからもわかればいいのに。

*ミクシィで読める参考記事 斜め読み
オノヨーコ、ソフィア・コッポラらも絶賛
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=277513&media_id=14
この記事に引用されてるコメントよりも、
サイト(日本語の方)にあった他のコメントの方が素直に心を打たれた。

ジョン・キャメロン・ミッチェルインタビュー
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=280312&media_id=25
★夜中に映画 ショートバス

今日から公開の『ショートバス』観てきました。
あんまり(というか全然、というか関連記事読んでても 覚えてなかった)
予備知識なしで行き、 冒頭からぶっ飛びました。
え、ええーという。

内容に関する感想はなんかよくまとまらないのですが、
音楽はすごいよかった。
とおもったら、ヨラテンゴがサントラをやってた。
ヨラ、ちゃんと聴いたことないので聴いてみようと思った。
その他にも「あー」という曲が多々あり、
クレジットみてなんだか納得。
animal collective、hidden cameras、the arkなど。

劇中で演奏したり歌ったりしてた人々も例外なくみんなよかった。
すーごく。
今朝はいきなりOrangerを聴いていたので、
その気分がそのままに流れたようで不思議な気分。

ルティグラのJDがちらりと出ていて、
やっぱりかわいらしくてかっこよい子だなあと思った。
オノヨーコもなんかにクレジット入ってた。ケンイシイがミックスしてたり。
NYが舞台という視点でもってもう一度観てみたらいいのかなー。
でももう1回観る気力はないなあ。

すごいエネルギーでもって畳み掛けてくるので
力がわくけれども逆に力がその時ないと観られない気がする。
といって今のわたしは力いっぱいではないのだけど。

他人にはわからないことをみんな抱えている、
それでもわかろうともがく、
ということなのかなあ。
わかりあおう、ではなく、
わかりたい、という自分の気持ち優先なような気もしたけど、
それでも他人と接することでまた揺らぎ変わっていける、
ということなのかもしれない。

ご家族ごいっしょに、というのや、初々しいデートには
あまりおすすめしませんが、どうぞ。

söndag, augusti 05, 2007

★犬は勘定に入れません - To say nothing of the dog

コニー・ウィリスの『犬は勘定に入れません』をやっと読んでしまった。
おもしろいー。
近未来とヴィクトリア朝英国が主な舞台で、
タイムトラベルSFなのでやたらややこしくて、
数学的な用語(らしきもの)も出てくるので、
はっきりいってついて行けないのですが、
それはもう置いといてもかなり楽しい長編です。

2057年という、今から50年後が現代で、
21世紀初頭の流行病で地球の人口は減り、
猫は絶滅してしまっている時代、という設定。
車は化石燃料車よりもソーラー車が主流。人々はわりとのんき。
タイムトラベルは可能だけども、研究目的のみに使われ、
歴史の流れを変えることは不可能。
なぜなら歴史上の分岐点には、
なぜかタイムマシンでもたどり着けないようになっているから。

というようなとこで、どたばたといろいろあるのですが、
歴史はグランドデザインー大きな出来事の集積、ではなくて、
誰も気にも留めないような些細な出来事が反応し合って
つくりあげられている、その中での自分の役目なんて
600年たってみてわかるかどうかというくらいのもの。
というハッピーエンドが、ささやかででもこころに残るものでした。

この人の違う話では、これまた近未来、犬が絶滅している世界、
というのもありました。『最後のヴィーネベーゴ』というお話。

短編集1冊とこの長編しか読んでいないけれども、
このひとの作品はシリアスなものとコメディなものの揺れ幅が大きい、
とあとがきにあり、たしかに短編はそうだった。
そのことについて本人がシェイクスピアを引き合いに
「どちらの作品も書きたい、そうすることで
自分が思う真実に近いものが書ける気がする」
というようなことを言っているそうで、また感銘を受けました。

あと、人類が病気で減ったとか、犬や猫が絶滅とか、
わりと暗い感じの未来なのですが、
でも希望が持てる余韻と人間らしさがある視点が
作品には一貫してあるところがすきだと思いました。

この本が書かれたのはもう10年ほど前で、
その10年で真実はよりそういう方向へ進んでいて、
かつ、その人間らしさというのは衰えていっているのが、
ある意味SF調のサイエンスノンフィクションなのですが。

エコとかエゴとか 

夏なんだなあ、という昼間の熱気と夜の風の空気が なんともいえずここちよく、ぼやーっとしておりました。

寒くなると「ああーやっぱりこの季節だなあ」と思うし、暑くなると「ああーやっぱりこの空気」と思うし、 これは四季があるくにに生まれた喜びかしら。

先日のビニール袋とセレブエコバッグの話、 エコバッグ反対、どうせやっても、とかでは決してなく、 ビニール袋やごみもなるべく少なくしたいのですが、 (で生ものでもなんでもかばんに詰めたりする)、 それは違うのではという商業くささと、まんまと踊らされっぱなしのひとがおそろしく多いのだなあということがなんとも言えないわけでした。

あの「ビニールじゃないよ」バッグについて、「買ったらビニール包装はされるのかしら? もちろんなしよね?! その場でバッグそのままもう使たらええんやもんね」とか意地悪く思ってしまったのだけども。でもきっと袋に入れるんだよね。
それか、これ見よがしに見せ物として使うか。
それであの「ビニール袋じゃありません」という主張があるべき意味を持ってくるのかしら、と思うと、バッグよごめん、という気が。

で、「アイアムアプラスチックバッグ」で「わたしだって100%リサイクルできますよ」という代物は、
そういう商業主義と大衆に対しての批判としてかっこいいと思ったのと、できることから気負わずに、というスウェーデンのことを思い出したのでした。その気になれば新しくバッグ買わなくてもいいし、と。

自分がみた限りの北欧エコとかについては、いろんな側面からいろいろおもうところは別にもあるのだけども。
これについては、また書きたいと思います。

と、野暮ですが追記。

torsdag, augusti 02, 2007

drrrling 心意気として 

Darlingというナンパな名前でガルルな雑誌に昔出会いました。
いいなあ、と思った頃には経済的理由から廃刊号で、ああと思ったものです。

なんかだいぶ前にこんなことを書いていた。
アンアンの恋愛至上主義に辟易していたようでした。
好きなように生きたい、そしてかわいい女といわれたい、あたしかわいいでしょ、
というやつですよね、アンアンは。

日本の巨大商業誌のアンアンと北欧のインディーに近かったガルル雑誌を
比べているのはとんちんかんなのですが。
でもやっぱり今読むとあえて貼っておきたいと思った。

***
このマガジン(廃刊)/ウェブジン(健在)が体現しているように生きたいと
強くほんとでおもう。

強気で傍若無人ででもかわいいものもだいすきで大笑いして悩んで泣いて、
でもやっぱり強気で。
それって当たり前のことやん、みんな願うことやん、と思いつつも、
たとえばアンアンとかの目指すものとダーリンの目指すものとの違いは、
 好きなままに生きてみせる、それでなにが悪い?
 たとえそれで泣いたとしてもそれのどこが不幸だというの?
という態度でものごとに接していこうとしているのか否か、
というとこなのかな、とはたと思い至った、いま、この瞬間。

「ひとりでどこまででもいける」という気持ちでダーリン、アンアンではなく。

****
で、実際にはそんなふうには生きられていないのですが。
ここまで突き抜けられる日がいつかはくるのかしら。

onsdag, augusti 01, 2007

バッグのはなし続き 

コメントを頂いて、そこからまた思いついたことを以下追記。

****
その1:
自分でもかわいいものとかすきだけど、甘いだけで
薄暗いとか一言では言えないとかやむを得ないとか
そういった背景なし(もしくは無視)のもの、
とかがいやになってしまう。
商業的にはそんな複雑なことをぼやいていても、
そうはいかないことは、自分でもわかるし、
矛盾してることをやってる感も自分に対して否めないけれども、
いろんなことがあるしそれを否定も肯定もできないし、
でもやっぱり好きだからとか気になるから、
という気持ちを忘れずにいたいと思います。
かわいいのがくそくらえ、というよりも、
かわいいだけはくそくらえ、ですね。

ちょっとうまく書けないので、
後でまたまとめてみようと思います。
レコ袋リサイクル、やらねば。

****
その2:
イケアについて追記。
カオスがイケアっぽい、というのは言いたいことと
違う気がしたので。

やっぱりヒステリックな様子は日本という場所だから
なのかなあ、とか、ロンドンでの騒動とか思い出してみました。
エコバッグに行列的な出来事だろうか。
いやでも、イケアがすてきインテリアショップだったら
そうはならない気がするのです、が、どうなんだろう。
どっちにしてもカオスかもしれん。

****
その3:
ビニール袋リサイクル魂、またの名を
「いや、もったいないからふつうに使い回ししたらええやん」
というか。
スウェーデンのひとは往々にして自意識過剰気味のところが
あるのに(日本人と似た感じのもの)、そういうのはわりと
さらっとできるのがいいなと思う。
もったいない精神が根付いているのかなあ。

補足として:
●ビニール袋といっても、わりと厚めでしっかりしていて、
日本のスーパーでもらえるものとは違います。
だから何度も使える、というのはあると思います。
●そういえば、食品のパック(ポテトサラダの入っていた容器
など)も丈夫でしっかりしているので、使い回ししていたと
思い出しました。ジップロックみたいなやつも、とことん
何度も使う。

バッグには夢がつまっていた 

今日も朝から暑いことです。
というよりか、暑くない時がない。
個人的には初寝苦しい夜の明け。寝れん。

昨日の続き:
I AM NOT A PLASTIC BAGという名前の、
宣伝ばんばんされたブランドデザインエコバッグに
大行列、という話は少し前ですけど、
ありがちすぎてあほらしすぎてやだなあと思っていたら、
Lilmagモモさんが、どうせひまならみんなもっと
トンチキなもの自分でつくればいいのに!
というようなことを言われていて、拍手!(そして嫉妬!)
http://lilmag.org/
http://blog.lilmag.org/

そしてすてきな「I AM A PLASTIC BAG AND I'M 100% RECYCABLE」というバッグも発見されていて、
またときめきました。かっこいいなあー!
http://cgi.ebay.com/ws/eBayISAPI.dll?ViewItem&item=220133729118

それで思い出したのが、スウェーデンのこと。
何度も書いているけれども、おしゃれな北欧ブーム
くそくらえのわたしなので、向こうのスーパーの
なんでもないエコバッグをオークションとかショップで
法外な値段で売っているというようなのを見ると
「ちがーう、そして美しくなーい」と思い毒づきます。
そういうの好きなひとがいるのはそりゃしょうがないし、
高い金で買って使うのもいいし、エコですよという
ポリシー持ってるのは昨今当たり前だけども、
なんか本末転倒感が否めないのが、美しくない。
わたしだってしょうもないものが好きだし、
ビンとか持ち帰ったりしちゃうし(ヒマだったら)、
でもなんか値段つり上げてる風潮と値段つり上げる
ようなもんか?というのが、すっきりしません。
かわいいデザインの空きビンがヤフオクで高値取引、
とか、げっそりです。そんなお金の使いかたするんだったら、
自分でその国行っていろいろ見てきた方が絶対いいよ!

そう思うと、IKEAは北欧おしゃれ家具ではなくて、
世界展開で格安です!というポリシーをこの今の日本ですらも
貫いている(ように見える)のが、まだすてきです。
オチさんのIKEAレポが個人的にはいちばんすきでした。
http://d.hatena.ne.jp/ochisan/20060514/1147617110
すごいカオス状態でモノがばんばん壊れても
誰も気にしてない、とかいうの。うわーイケアっぽい!

で、長くなりましたが、スーパーのエコバッグ、
スウェーデンでは使っているようないないようなで、
品のいい感じのおばあちゃんたちは、折り畳んだ
スーパーロゴ付きエコバッグを丁寧にかばんから
取り出して、というひとが多いようでしたが、
それ以外はあんまり見ないなあという印象。
学生だったら、エコバッグなんていわずもうリュックに
ばんばん詰め込むとかもあり。
パンクなティーンネイジャーは、ポリシーの印刷された
ぺらっぺらのエコバッグ、とか。
でも案外割とみんなスーパーのふつうのビニール袋を
お金出して買ってます。エコ感ゼロ。この時点では。
お金出して買われたビニール袋は、その後ゴミ袋になるのが
いちばん多いですが、その他には無造作に手持ちバッグ
として使われているようだったのが「おおスウェーデン!」
という感じでした。お弁当入れたり、何か小分けにしたり、
そういうのにふつうにスーパーの袋。
荷物多い時にスーパーの袋。
ジム行くのに、洗濯行くのに、パーティー行くのに、
オールマイティービニール袋! 
というわけで、
I'M 100% RECYCABLEというフレーズを読んだとき、
ああまったくだよ、と思ったのでした。

印象に残っている場面は、
あるパーティーで会ったDJ担当の男の子が、
すてきなCDたちをどっさりスーパーの袋に無造作に
入れて持ってきたのを見たとき。
ああスウェーデン!と思いました。
その中からベルセバとかすてきな音楽がばんばん出てくるの。
かわいい男の子が何の気もなくスーパーの袋持ってるとか、
すてきです。

わたしもDJ担当でCDもってこいと言われていて、
わたしはなんかわからんけど期待(何の期待?)に応えて
ばんばんにおしゃれ感を出さねばと思っていたので
(結局おしゃれでもなんでもなく、かばんのすきまに
つっこんでいっただけなのですが)、気が抜けました。
まだまだだなあと思いました。嫉妬しました。

ちなみにわたしはその袋からでてきたベルセバを
貸してもらい、その子からはその後もいろいろ教えてもらい、
それが今に至るひととの出会いをつくっているわけなので、
ああスーパーの袋には夢と希望と未来がつまっていた!

もひとつちなみに、わたしはビニール袋買わない派、
かばんにばんばん詰め込む、でした。
理由は袋なんて買ってる余裕ないから、でした。
袋がのちに使いたいときだけ買いました。
エコ感ゼロ。そして本末転倒。

7月終わり 

昨夜はおどろくほどにすずしかったですが、
あまりにすずしくここちよく、窓全開で風にあたりながら
いつのまにか寝てました、コロッケ2つ平らげた後、、、
目覚めたら日が昇るころでした、、、なんという。

今日はまた暑く、1時間半ほどおつかいで外に出ただけで
だいぶ日に焼けた気がします。日焼け止め塗ったのに。
日焼け止めをまともに塗り始めたのはここ数年です。
美白に関して無頓着なわたしですら、当たったらやばいと
思わせる陽射しと暑さ。
地球はえらいことになってるんだろうと思うけれども、
こわくてもう現実を見据えられない気がします。
そう言うとるからあかんのだけども。

環境といえば、こないだ会社で古い資料をばっさばっさと
斬り捨てていて、ふと見えたフレーズ、
「ここ北極圏まではチェルノブイリの汚染も及んでいません。
安全できれいなところです」というようなもので、
忘れかけていたものを引き戻されるようでショック。

ちょっと前に出たスウェーデンのポップラディカルバンド
VAPNETのEPは「何か新しい悪いことが起きた」という
タイトルでした。意味深だなあと思っていたら、
1曲目は「チェルノブイリ」という曲。ああそうか。
歌詞までは調べていないけれども、チェルノブイリ原発事故の
影響の波紋は北欧人にとっては、日本人にとってよりも数倍
強烈かつ深刻だったんだなあと、改めて思っていたところ。

あの事故直後、西への風が吹いてかなり大気が北欧へ流れて、
大地が汚染され、牛乳などにも影響が出たそうです。
パンフレットは90年代のものだったと思うけれども、
事故から10年たってそのフレーズが書かれるということ、
そしてそれからまた10年たってそれを衝撃的に感じている
ということ、そういう自分がいること、
どっちもなんともいえない。
そして新潟の原発のことは頭から飛んでしまっていたこととか。
なんか矛盾しまくっている。

で、紫外線降り注ぐ中人ごみかき分け自転車で走っていたら、
乗外国の男の子3人組を見かけ、「フジロッカーだ!」
と勝手に断定。
だって1人はTHE CUREのTシャツ着てたから! 
残りもなんかバンドTシャツぽかった。よく見えんかったけど。
若いのにフジやってきてしかも帰りに京都観光かよ、
うらやましいぜ、と思いつつ、どっかのバンドの子たち
だったのかもしれません。佇まいがそういう感じでした。
フジも終わってはや8月か。早いなあ。

***
チェルノブイリ原発で被害を受けた地域のその後について
描いたドキュメンタリー「アレクセイの泉」を、ちょうど
4年ほど前に観ました。
素直にこころ揺さぶられました。機会があればみなさんぜひ。
http://www.ne.jp/asahi/polepole/times/sosna/alec/summary.html

そして上記サイトから追記:
そういえば4年前にもこころに残った気がすることば
「世界中で事件が起こる。不況も襲う。しかし浮き足立つ
ことはない。足を大地につけろ。」
浮き足立ってんなあ、わたし。
***
あと、今日見つけて今さら興味深くやってみました。
みんな知ってるのかもしれんけど、自分メモとして。
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/senkyo/07saninsen/votematch/etc/index.html

覚え書き再開 

すっかりミクシィでへなへなになっていましたが、
「主張は表でからだ張らなきゃ」という気持ちがむくむくと再燃、
覚え書き帳再開しました。

過去の殴り書きの残骸はプロフィールから。
もしくはこのへんで:
http://piiiip.blogspot.com (紛らわしいアドレス、こちらはiが4つ)
http://www.piiip.com/lego/

どうでもいいこと9割ですが、たまに役に立つかもしれないようなことも
書いてあるなあ、と、数年経って読み返して思いました。
読み返すとどうでもいいことであれなにかしら感じられるから、
やっぱり記録した方がいいなあと改めて痛感。

音楽メモ帳は別サイト(http://d.hatena.ne.jp/soradio)でちまちま続けていましたが、
なんでもごちゃまぜに書き殴ってあるほうがおもしろい気がする。

ということで、ここにまた書き散らかしていきます。
最初のエントリーは、ミクシィで書いたものをいくつかそのまま移しました。

tisdag, maj 02, 2006

ポップと政治を(続きのようなそうでないような) 

さきほどの長い文章から関連で。

グローバリゼーションのことについては、少し前にモモネムさん( http://d.hatena.ne.jp/Tigerlily/20060424 )が書かれてたIKEAのオープンに寄せての文章にとてもうなずくことが多かったです。

私的にはグローバリゼーションとそれへの抵抗について気になり始めたのが98年ごろでした。99年の今頃にはフェアトレード関係者たちの間で「世界で一斉にアクションを起こそうデイ」があって世界がつながるネットワークの力を実感。そしてシアトルで大きなデモが起きたのが99年末、同じく99年のノーベル平和賞はネットで地雷反対の運動を進めた団体が受賞。グローバリゼーションという言葉の中には、今いわれているような「グローバル大企業の牛耳る世界」というだけではなくて、もっとインターネットの持つポジティブな可能性などを含めた希望も感じられた頃だったと思います。

そしてそれから7年、世界はやっぱり予想以上に早く大きく変わっていっているんだということを痛感します。

インターネットも可能性よりも弊害の方が大きくクローズアップされていて、確かにねえと思うような黒い話ばかりが聞こえてくるし、2001年に社会技術論という専攻で「インターネット・ケイタイが社会を(ゲリラ的にしかしポジティブに)変えていく可能性」について論じようとしていたわたしとしては(ちなみに未完)、とてもやりきれない気分をもんもんと抱えています。もしかしたら、どちらかというとポジティブな可能性に希望を見出したいと思っていただけかもしれないけれども。

それでも、希望はきっとあると思いたい、でもどこに突破口があるのかまったくわからない状態にどんどんつっこんでいってしまっている気がして、あー「近代とはスピードを落とせない止まることもできない車に乗っているようなものだ」とかいうギデンズの話なんかも今ごろにまたうなずけるような気がしてきます。でも、例えばインターネットひとつとってもここまで急速にこれが普及してこんだけのことが起きるとは誰も予想はしていなかったはずで、だから逆に予想外のよいことだって起きるはずだ、今だって黒い話の陰になっているけどそういうことは起きているはず、だからきっと人間はおもしろいのだ、と思いたい。そこに希望を見いだしたい。

あーまったく全然うまく書けませんが、今日いろいろ思ったことは書いておきます。メーデーだし。また今後挑戦します。

***2007年8月の追記***
1年以上たって、いまだうまく書けていません。いつか。

mixing pop with politics ポップと政治をあわせてみる 

こりはいったい、、
http://vapnet.blogspot.com/2006/05/mixing-pop-with-politics.html
一番下の写真、トランペットとか持ったおじさんが並んでるこの写真、たしか100年くらい前(いや、80年くらい前やったかも)のデモの様子だったと思います。とても有名な政治的な労働者の行進。こんなに牧歌的に見えて実はとても激しい。そういうことか? そういうことだ! ポップでメロウでそしてポリティカル!というのが理想だと思います。そういうのが真のパンクいや真のポップだと思います。

最近VAPNETのことばっかりで「何のこっちゃ」という人には申し訳ないですが。

【解説:VAPNETとは】
とてもすてきなスウェーデンの北の田舎出身のポップでメロウな音を奏でてそしてわりと強い歌詞を書くユニットです。いまいちばん好きなユニットです。同じメンバーのやってるSIBIRIAというのもおなじくらい好きですが、とにかくバンドのことでした。

最初のシングルのタイトル曲「Ge dom v?ld」は、「彼らに暴力を」をという意味で、歌詞も短いのですがかなりきつくて「いじめっこは/いじめを持つ/同じようなやつらはそこらじゅうに/強姦者は/暴力を持つ/警察も持っている/そして君も自分のを/法はこんなにたくさんあるのに/その中のどれひとつ/君のためには書かれていない/君は彼らに正義を与えたい?/それとも暴力を?」というもので、最初はよく意味がわからなくて、最近になってこれはイェーテボリで反グローバリゼーションデモの際に警察官がデモ参加者を殴ったり虐待した事件が起きてかなり問題になったにも関わらず結局裁判ではあまり罰せられなかった、ということに対する批判の歌詞だったそうな、ということを知り、おおー!と。この事件はわたしがとても気になってけっこう追っていた話の関連事項だったのですが、それもあって、更におお!と。
このひとらの「ポップでメロウな音に強い歌詞を乗せる」というのはすごい魅力だなあと思っています。真のポップです! 

ちなみに、同じくスウェーデンのこれまたすてきな音楽をつくるイェンス・レークマンは同じ事柄に関して「あの暴動を覚えてる?」という歌詞を書いていて、それもまた批判なのだけども「これは政治というよりも、その暴動が象徴しているようなうまくいかなかった恋のことを書いている」とどこかで話していたので、VAPNETの方が熱く強いなあと。

と、長々書いて、結局わたしは「ポップでメロウでそしてクリティカルポリティカルでもポジティブで希望を感じる」というのが音楽であれ文学であれなんであれ理想だと思っているのだと痛感。わたし小さい頃一時期革命家になりたいと思ってました。革命家は職業かと訊かれたら困るんですが、そして何するんだといわれたらよくわからんかったのですが、とにかくそういう心意気を持っていたことは事実で、そんなのも忘れてすっかりへたれているこの頃、そんな気持ちを持っていたことをこうやって思い出したりするのは、悪いことではなかろうと。

そうそう、小沢健二くんの「毎日の環境学」はまだあまりぴんときてないのですが、連載小説「うさぎ!」の初回にはかなりぐあーんとなりました。こういう小説が読めるのならば世界はまだそれほど悪くはない、と希望がわいてきます。さてここからどうするの、というとこで戻ってしまうのだけども。それでも!
http://ecologyofeverydaylife.org/usagi/index.html

いまふと思いついたけど、小沢くんの文章を読んだ時に感じるものと養老孟司の文章を読んだ時に感じるものがなんだか似ている気がした。文章の感触というのか、なんか「え?」というとこからまっとうなことをついてくるとことか。ちゃきちゃきした感じとかかなあ。江戸っ子な感じ(養老さんは江戸っ子ではないですが)。うまく書けないけどふと感じました。

てなことです。

fredag, april 30, 2004

vår sommar, min sommar

なんもせんうちに日が暮れていて連休のしょっぱなは終わり。
4月29日の休みって、いつもならなんだかやけにうれしくなっていたんだけど、
今年はあれれといううちにやってきてそして終わってしまった。
去年のいまごろは毎日が冬春夏休みだったのにもかかわらず、それでもわくわくしていたのに。

そういえば初めて会ったのはちょうど1年前ですね、とか思い出したりした。
明日はスウェーデンではお休みではないけど、お休みみたいな日。
春がやってきてついでにいっしょに夏もやってくる日。
夕方や昼間から外でみんなでバーベキューしてビール飲んで、
夜に大きなたき火を焚いたり、見に行ったりして、春が来るのをお祝いする。
春が来たらすぐに夏。
そしてわたしはまた思い出ばっかりをたぐってたぐってからまわるのだ。
強い強い陽射しとか、あおあおとしていた新緑の葉っぱとか、そういうのの間にちらりちらりとなつかしいひとが出てきて、ずーんとなってぐるぐるまわって。
最後はバターになるのかしら。

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